1925年、「俳優 阪東妻三郎」の撮影所作りに、
「古市良三」が電気工として参画したことから始まる。
嵯峨映画を遡ると、その歴史1925年に「俳優 阪東妻三郎」の撮影所作りに、「古市良三」が電気工として参画したことから始まる。1927年には『阪妻プロ太秦撮影所』が無事に完成し、ここから古市良三が照明機材に深く関わっていくことになる。
SAGAEIGA
HISTORY
専門性を活かしさまざまな照明機材を集め出した古市良三は
映画撮影において照明技師としてのキャリアをスタートさせる。
さまざまな撮影現場で照明に関わっていくが、1948年にマキノ眞三作品『桜御殿』で古市良三が照明技師を務めたことでその名は確固たる地位を固める。
1953年には、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品『アナタハン』の製作に関わったことから、アメリカの照明機材を譲ってもらうことに。これを機に、古市良三は照明事業で独立。映画撮影の照明技師をはじめ、照明助手の派遣、照明機材のレンタルの事業を開始する。
1953年、日本最古の映像関係専門の
照明会社「嵯峨映画」が誕生。
しかし同年、古市良三を悲劇が襲う。志を同じくした阪東妻三郎が亡くなるのである。古市良三は現在の太秦に引越し『大映撮影所』で照明技師を務めるが、照明の仕事を会社組織化し独立。
日本最古の映像関係専門の照明会社「嵯峨映画」が誕生するのである。照明に特化した会社であるが、その名前が映画となっているのは「映画製作までできる会社にしたい」という想いが込められていた。
1970年、大阪万博が開催され
その公式記録の照明を嵯峨映画が請け負う。
非常に多忙な現場であったが無事に乗り越えた翌年の1971年、古市良三がこの世を去ることとなる。良三の死去に伴い妻の操が二代目の社長となり、女性ながら多くの照明助手を束ね細々と会社を継続していった。
また、同年には大映撮影所が倒産。業界にも大きな激震が走るが、余った車両を利用してレンタカー事業(後のサガレンタリース株式会社)を開始。その後の日本社会にはテレビの台頭という大きな変化が起こり、嵯峨映画は映画撮影だけでなくテレビ番組やCMの撮影にも活躍の場を広げていく。特にCMにおいて、これまでの映画撮影で蓄えた技術・ノウハウを求め、たくさんの撮影現場から声をかけていただくようになる。
次男の古市義人が三代目の社長となったのは1992年であるが、高齢となった母を支えながらレンタカー事業と嵯峨映画の両輪共に業績を築き上げていった。
1980年には専門学校より新卒採用をはじめ、
嵯峨映画は会社組織としてより大きな成長と円熟味を増していく。
照明に関わる映像作品も多岐に渡り、2000年TV『少年H〜青春篇』、2002年映画『たそがれ清兵衛』、2005年TV『世にも奇妙な物語』、2008年TV『課長 島耕作』、2010年映画『最後の忠臣蔵』、2013年TV『黒澤明ドラマスペシャル「野良犬」』、2016年映画『溺れるナイフ』、2017年映画『関ヶ原』など名だたる作品を共に作り上げていく存在となる。
2017年、古市義人の妻であり取締役であった
古市晶子が代表取締役に就任。
東京都渋谷区道玄坂に「嵯峨映画 東京支社」を設立。2021年にドイツの映像用機材メーカー『ARRI』とパートナーシップを締結し、照明機材会社としてグローバルな活動も視野に入れる。
2023年には法人設立70周年を迎えました。