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森田富士郎さんを偲んで

昨年、平成26年6月11日撮影監督森田富士郎さんがお亡くなりになりました。享年86歳。

「大魔神」「鬼龍院花子の生涯」「利休」など日本映画の歴史に欠かせない作品の撮影監督として活躍されました。

また20年以上にわたり大阪芸術大学教授や京都映画塾の講師として多くの後進を育てられました。

弊社が最初に森田作品で照明に携わらせていただいたのは「竜馬を斬った男」(1987年)、以後「226」(1989年)「利休」(1989年)「陽炎」(1991年)「豪姫」(1992年)「女殺油地獄」(1992年)「RANPO(黛バージョン)」(1994年)の7作品で、森田さんが60歳過ぎた頃から7、8年はほぼ毎年のように時代劇の撮影でお世話になりました。

この七作品とも照明技師は中岡源権さんです。中岡さんは仕事に対しては大変厳しい方で、私も親しく話すことが出来るまで何度も冷や汗をかき大変緊張しましたし、現場ではその厳しさゆえに体調を崩したり、泣くほどの目にあっているという社員が何人もいるという方です。その中岡さんが森田先生に「権チャンちょっと、、、」と言われるとすぐ馳せ参じ、緊張して聞き耳を立てるという、その森田さんてどんな方なのだろうと思っておりました。お目にかかってみると、カメラ・映画の話をし出したら止まらない心暖かなお酒大好きの紳士でした。

業界では一目も二目も置かれる重鎮が一照明機材屋の私を温かく見守り、支えて下さいました。業績が悪く愚痴をこぼすと「僕はね、あなたが頑張って会社を引っ張っているっていつも感心しているよ。助手をたくさん抱えて大変だと思うよ。でもこんな会社(技術者と機材がある会社)ここしかないから」とねぎらい励まして下さいました。

系列会社の「関西ロケーションサービス」が特機部を設立するにあたってはアドバイスもしていただき、日本映画撮影監督協会の新年会等の会合では撮影業界の方々と知己を得るご縁をいただきました。私が厚かましくもいつも森田さんの隣にいるので自然と皆さんに知っていただくことが出来たわけです。

そばでお話を聞いた中で、心に残っている言葉は「照明も撮影もない。カメラマンが照明したっていい、ライトマンがカメラを握ったっていい。撮影には両方の知識がないとダメなんだよ。」「フイルムがデジタルになってもお客が映画を観て違和感がないのなら問題はない。」「過去の栄光や技術に甘えちゃいけない。銅像や石碑なんて意味ない。前に目を向け学ぶ姿勢を持たないといけない。」などなど、常に未来を意識した言葉でした。

晩年になっても色褪せることなく次の作品の夢を語っておられたように思います。たぶん次作は3D版「大魔神」ではないでしょうか?

一方、太秦村、町内の呑み会では「先生、○○日の夜如何ですか?」とメールすると即座に返信「いいよ」とあり、最後は大映通りの路地をちょっと北の「てっ平」さんでいつもの稲垣夫妻と一緒にお酒を酌み交わしました。稲垣夫妻は夫の稲垣豊彦さんが元大映の制作部で活躍されており、森田家とは家族ぐるみのお付き合いをされていたご夫妻です。いつの頃からか、気の合う者同士の4人組(森田さんと稲垣夫妻と私の4人)が定番になりました。もう、あの笑顔にはお目にかかれません。

ご冥福をお祈り申し上げます。

平成27年5月9日
古市晶子

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森田富士郎さんと
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